パリ五輪柔道男子60キロ級準々決勝はお粗末な誤審
スペイン選手「文句を言うのは自由だけど、審判の決定は絶対だ」
うん、そりゃあね。
自分が意図して反則をやって、審判が見逃してくれ、勝ちと判定されたらそう言うよね。
嬉々としてそう言うよね。
地元スペイン公共放送局:
「勇敢なスペイン人は手を広げて、一向に来ない日本人からの挨拶を待っていた。ナガヤマはガルリゴスに向かって非常に酷いジェスチャーをした」
(上の記事より抜粋)
後ろめたい時に、後ろめたさゆえに気が引けてモジモジするのは、一部のアジア人だけ※。
グローバルスタンダードなパターンでは、後ろめたさが強ければ強いほど、逆に
「やましさなんてありません。見て下さい、これが私が悪くない証拠です。どうです?私はこんなにイイヒトでしょう?」
というパフォーマンスで周囲にアピールする。
今回で言うと、反則野郎がオーバーフレンドリーなゼスチャと作り笑いで握手を求めているのがそれ。
本気で憔悴して不満を表明している人物がすぐ目の前にいる場合、本当に後ろめたくない人ならば刺激しないように振舞う(こんなオーバーな動作は取らない)でしょう。
※日本人にももちろん、こういうパフォーマンスが巧みな人間は少なからずいます。
結局その後の試合で二人とも銅メダルに落ち着き、メダル授与式では仕方なく「目を合わせずに」握手したようですけど。
実は試合後に日本の監督・コーチが抗議したら、審判団は渋々認めたものの
「誤審は認めるが、判定は覆さない」
で押し切られたようです。
舐められてますね。
日本のスポーツ指導者の多くは「諦めるのもスポーツマンシップ」と教育されていて、クレーム(というと言葉が悪いが、交渉)を理詰めで押し通す能力は低いのかなと思います。
余談
昭和の昔~平成半ばまでは
「健全な精神は健全な肉体に宿る。ゆえにスポーツ選手は全員が健全な精神を持つ人格者だ。性格の悪い者などいない!高評価される!これが世間の常識だ」
などという神話(与太話?)を、教師が堂々と生徒に信じさせようとしていました。
「だから、内申点が欲しい奴は運動部に入れ。文化部なんかに入る奴には俺は内申点をやりたくない」
なんて暴言を、新一年生に対して平気で放つ体育教師が私の通った中学にいました。
その体育教師の暴言は、
「運動音痴でも、3年間補欠や球拾いしかさせてもらえなかったとしても、『それでもやり抜きました、辞めませんでした』が『根性がある』と評価される。だから運動音痴こそ運動部に入れ。文化部なんか選んだら、就職でも不利になるぞ」
と続きました。
私は(おいおい、それが「健全な精神」の持ち主の言う言葉か?下衆いわ)
☝体育教師ということは、元スポーツ選手ということですよね?
と思ったので、中学でも高校でも文化部にしか入りませんでした。
これもまた「北風と太陽」ですね。
運動部在籍経験ナッシングアットオールでも、その後の人生で特に困ってません。




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