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夏目漱石。
1984年から2004年まで20年間千円札の顔を務めた、文豪オブ文豪。
江戸末期に生まれ、大学進学率が1%だった明治時代に最高峰の帝国大学英文科を卒業。
芥川龍之介の25年先輩。
とにかく神経過敏で知られ、HSPと思われる作家というと真っ先に名前が挙がる人物です。
繊細な彼は帝大在学中からたびたび神経衰弱(慢性疲労症候群)を起こし、胃弱(神経性胃炎)が持病。
卒業後は、巡査さんの初任給が8円の時代に、月給100円で高校の英語教師に乞われる。
現在の価値に換算すると、おまわりさんの初任給16万に対し漱石は200万。
当時、知的エリートは今では考えられないほど優遇されていたのです。
33歳で日本政府の命令により国費留学生としてロンドンに渡るも、またまた神経衰弱を起こし2年で中途帰国。
それでも帰国すればすぐに引く手あまたで、年俸1500円(3,000万円)のオファーで英語講師に返り咲き。
しかしまたもや神経衰弱、の無限ループ・・・
で、友人の高浜虚子に「神経衰弱の気晴らしになるから」と勧められて書いた処女作
「吾輩は猫である」が大ヒット。
名前はまだないけど、黒猫である🐈⬛
帝国大学英文科からの教授職のオファーを蹴り、専属作家待遇(出社不要で月給200円=400万円)のオファーに応じて朝日新聞に入社。
一躍人気作家に。
しかしたびたび胃潰瘍の悪化を繰り返し、「我が輩は猫である」発表からわずか11年後に、胃潰瘍による腹部体内出血(一説では胃がん)のため死亡。
享年49歳。
書いてて疲れるほど振り幅の大きい人生ですわ!
余人の追随を許さないほどの才能を持ちながら、なおそれを上回るほどの神経過敏さ。
以下は漱石の「草枕」の有名な一説です。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに、人の世は住みにくい。
<訳>
知識を披露すれば反感を買う。
人情を優先すれば足元をすくわれる。
自分の意見を通すと人と衝突する。
あれやこれやで、世の中って生きにくい。
ここ10年ほどでよく言われるようになった、メンタルヘルス的キーワード
「生きにくさ」
を、夏目漱石は明治時代に早くもしみじみ実感していたわけです。
彼は偉大な文豪と同時に偉大なHSPでもあったのですね。
彼は豊島区にある都立雑司ヶ谷霊園に眠っています。
去年お墓参ってきたシリーズ第三弾でございます。
戒名「文殿院漱石居士」が刻まれていました。
本名は、夏目金之助さんです。
赤いケイトウは献花ではなく、墓石の隙間に溜まったわずかな土から自生して花をつけていた「ど根性ケイトウ」でございます。
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