俳優>時代劇俳優>大川橋蔵:昭和の大スタァ❷2度の人生の転機と遅い結婚
❶はこちらです。
1949年、富成青年20歳の時に六代目菊五郎が死去します。
その後日本では映画ブームが起き、何人かの歌舞伎役者が映画俳優に転向しました。
梨園は血筋がものを言う世界です。
養子(立場的に御曹司たちより不利)の上に後ろ盾を亡くした富成青年は、歌舞伎界での
出世に見切りをつけ、市川雷蔵氏の勧めで1955年に映画俳優に転向します。
26歳の時です。所属は東映でした。
そして東映時代劇映画の若様役で大当たりします。
しかし1960年代半ばから東映はヤクザ映画に力を入れ始めました。
時代劇の制作本数はどんどん減っていきました。
大川さんも1965年に1本だけ現代劇のヤクザ映画に出演しました。
しかし、水が合わなかったようです。
現代劇へのご出演は生涯でこれ一本でした。
その後、フジテレビからTV時代劇の主演へのオファーがありました。
しかし東映は「大川橋蔵は貸せない」と渋ったそうです。
橋蔵さんは東映専属俳優を辞めてTV俳優への再転向を選びました。
37歳にして人生2度目の人生の大転向でした。
これがのちにライフワークとなる「銭形平次」出演への経緯です。
「銭形平次」放映開始は1966年5月でした。
それから1984年4月まで全888話まで続き、ギネスに認定されることになります。
放映開始2ヶ月前の1966年3月、橋蔵さんは馴染みの芸妓の沢村真理子さんと結婚します。
少々遅い結婚でしたが、二人の息子さんに恵まれます。
出典元:女性自身昭和41年3月21日号@ヤフオク
出典元:週刊平凡1966年第359号@オークファン
綺麗な奥様ですね❗️
18年間の結婚生活でしたが、奥様のことをとても大切にされたそうです。
その愛妻家ぶりと、代表作となった「銭形平次」のエピソードは
❸(最終回)に続きます。
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