私の話>人はこうあるべき❗️に対して眉毛に唾を付けてみる
昨日こういう記事を書きました。
纏足。
女児だけ足の骨を無理やり変形させて、蹄のような小さな足にする中国の奇習。
👇変形した足の骨のレントゲン写真。
足を変形させる激痛に耐える忍耐力と、慣習に疑問を持たずに従う従順さこそが女性の美徳とされたゆえに千年以上も続いたということです。
先天的な美人は努力をしていない。
それより後天的苦痛に耐える努力をする女性の方が嫁としてふさわしい。
また歩行能力を著しく奪われた女性は出歩かなくなり「家庭的になる」。
こういう考えのもと、仲人は娘が美人かどうかは問題にせず、ただ足が小さいかどうかだけで縁談を持ってきた。
娘たちも、足を変形させられる恐怖よりも将来嫁に行けない恐怖の方がよほど大きく、
また「小さい足」を誉めそやされるのが誇らしく、自ら纏足に従った。
しかしこれを「昔の人は無知蒙昧だった」と一概には笑えません。
何故なら、現代でも外反母趾等に悩んでいる女性のうち一定数は、自ら進んでハイヒールを履いているからです。
私は十代の頃からヒールが苦手で、社会人になってからもウォーキングシューズまたは黒いスニーカーで仕事に行っていました。
それを見咎めて
「ヒールは低くてもいいから、オフィスではヒールのあるパンプスを履くのがマナー」
等の小言を言ってきたのは、ほとんどが男性上司ではなく女性上司でした。
遠縁の親戚にも、私に対して何かにつけ
「ハイヒールを履かない女は女を捨ててる」
「ちょっと練習すれば、ヒールがある方が絶対歩きやすいのに」
「ペタンコ靴で歩いてる女性は、ペンギンみたいなペタペタ歩きでみっともない」
と言う少し年上の女性がいました。
結局彼女は結局外反母趾で両足を手術をする羽目になりました。
さらに膝まで痛めていて、片膝が人工関節になりました。
そして今さら「あなたはよく歩けて良いわね…」と言います。
これは極端な例ですが、これ以外でも何かにつけ
「これこれこういう人が人として立派である/ダメである」
「人はこれこれこういうふうに生きる/振る舞うべきである/べきでない」
といった話が多種多様に世間に流布していますが、それは本当に本当なのでしょうか。
世界初の自動炊飯器を開発したのは日本の東芝です。
開発者は社内から(❗️)散々に言われたそうです。
「そんなものは女を堕落させるだけだ」
「君は、飯を機械に炊かせるような怠け者の女と結婚したいと思うか❓」
「売れるわけがない」
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世間のもっともらしい御高説には、常に眉毛に唾を付けて生きようと思っております。
画像はモフファンより。
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