再)雑学>石川啄木の困ったちゃん&だめんず&借金王伝説
こちらも再公開します。
初回公開:2022/4/14 7:00
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👇昨日4/13公開のこの記事で
「石川啄木に一番借金をタカられたのは、のちに日本を代表する言語学者に出世する金田一京助である」
と書きましたが、もしかしたら違うかもしれない可能性も出てきました。
確かに金田一京助は啄木に相当貸してます。
静子夫人の私物を質屋に入れてまで貸したというから、とんでもないです。
ただし、啄木自身が書き残している1905年から1908年にかけての約4年間の借金(ツケ払いや支払延滞を含む)を記したメモに記載されている内容に限れば、一番の借金先は金田一ではないとか。
それは、啄木と同じ歌人の…
義弟・宮崎郁雨
- 石川啄木の友人―京助、雨情、郁雨
- 同時代社
- 本
啄木と結婚して不幸になった節子夫人の、実の妹の夫。
つまり啄木の1歳年上の義理の弟に当たる方です。
あ〜。
義理の兄である上に歌人としては自分より才能のある人からの借金の申込み。
断れないパターンですわ。
啄木借金メモによると、4年間の借金総額は1,372円50銭だそうです。
借入先は知人約60名。
50銭というところにリアリティが出てますね。
現在の価値に直すと1,500万円超らしいです。
4年間でこさえた借金1,500万円
そのうち宮崎郁雨が貸した金額は150円ほどだそうです。
現在の価値に直すと165万円ほど。
家電がないから電灯代くらいしか電気代がかからなかった明治時代。
ガスもなかった(一般家庭用には)。
スマホもなかったから通信費は切手代と電報代しかかからなかったはず。
家だって安かった。
都内でも1,500円出せば家が買えたそうです。
一戸建が買える金額の借金を4年で作って、全額踏み倒した。
凄いな。
石川啄木は歌人としての才能を見込まれて、朝日新聞社の正社員でした。
記者ではなく校正係だったそうですが、給与収入はあったんです。
同僚は同じ給料をやりくりして、ちゃんと妻子を養っていたはずです。
なぜ啄木だけ足りなくなるのか。
給料では足りず、1年あたり375万も借金する羽目になったのか。
遊ぶ金欲しさに借金
遊び癖&浪費癖だったんですね。
啄木は、死ぬまで1円たりとも借金を返済することはなかったそうです。
それでも啄木の才能に心酔していた宮崎は、援助を惜しまなかったとか。
他の人も、なぜか借金を取り立てようとは全くしなかったようです。
それどころか啄木が26歳で早逝すると、皆は天才の早すぎる死を惜しむのでした。
人たらし、だったんでしょうねえ、ハジメちゃん。
👇ゴールデンカムイに登場した、小樽日報勤務時代(上京前)の啄木(本人役)。
この頃の同僚が、井の頭公園に歌碑が立つ野口雨情。
似てる❗️
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