HSS型HSP🌏Millieの脳内世界

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It is getting hotter.
Be careful not to eat too much cold food.
This year's ducklings will hatch soon.
How many ducklings will we see ?

自己紹介>3歳で爆発した記憶〜三つ子の魂百まで❶

私は言葉(発語)の早い子供でした。


押し並べて女児は男児より早い傾向にありますが私は同世代女児の中でも特に早かったようです。
そして口も達者でした。


普段は黙々と絵を描いたり本を読んだり生き物を観察したり、大人しい独り遊びを好んであまり喋らないのに、スイッチが入るとめちゃくちゃはっきり主張するのでたびたび驚かれたそうです。


←distance→

               👆楽しい


長期記憶も良いようで、3歳の誕生日少し前からの記憶が残っています。


3歳の時の記憶です。


<祖父母から見た我が家の家系>


長男:跡取り息子。九州で同居。孫は女2人
次男:東京で就職。既婚だが孫は無し。
三男:埼玉で就職。孫は男3人。
四男:就学前に早世。



私が3歳になってすぐに埼玉の三男宅に長男が生まれました。
九州で長男夫婦とその孫娘(私)と同居していた祖父母にとっては、初の男孫です。


男孫を見るために九州から上京しました。
まだ幼稚園に行ってない3歳の私(私は初孫)もお供に連れてです。


新生児がいて大変な埼玉の三男宅に泊まるわけにはいかないので、
当時は世田谷に住んでいた次男宅に泊まることになりました。


この次男夫婦はのちに渋谷に引越し、叔父は病没。
今は一人暮らしの叔母が、給湯器の記事で何度か書いた人です。


ある日の朝、私は叔父宅の庭で一人遊びをしていました。
すると垣根の向こうから近所の子供達の声が聞こえてきました。
※夏休み期間中でした。


男児A「だーれ、あのこだーれ❓」


男児B「しらないこだよ、だれだろう」


男児C「ここんちはこどもはいないんだよ」


男児D「じゃあだれだろう」


全員 「だ〜れだろ〜うね〜え」


めちゃくちゃ声高。丸聞こえです。最後なんか大合唱。


今思えば、ここまで聞こえよがしに言えば私が


「はじめまして。わたし、ミリエ(仮名)。仲良くしてね❗️」

とでも挨拶すると思ったのかもしれません。


ごめんね〜。でも違ったんだ〜。


私  「なんねッ、あんたたちッ❗️言いたかことのあんないば、こっちにきて顔ば見せてはっきり言わんねッ❗️❗️」


(語尾に「ッ」のスタッカートが入って勢いを増幅するのは、佐賀弁の特徴です)


全員 「え〜ん、え〜ん」


全員 「あのお姉ちゃんコワイ〜〜〜❗️」

バタバタと遠ざかる泣き声と、向こうはどう見ても就学児(小1くらい)なのに
3歳の私が「お姉ちゃん」と言われた違和感で、しばらくポカーンとしていた私でした。


※近所の奥様に一部始終を見られていたらしく、叔母が翌日嫌味を言われたそうで。
その内容と私の記憶はほぼ一致してます。なので概ね事実です。


私のこういうところを祖父は面白がって「ミリエ(仮名)は、はっきりしとるな」と
言ってくれましたが、小学校教諭だった母は「とんでもない❗️」と大反対しました。


母 「こういう子は小学校に行ったら絶対にいじめられるっですよ❗️どこのクラスもそうですけん❗️そいに(それに)こがん子どもば好かん先生もおらす(いる)ですよ❗️直さんば、担任に嫌われて不利になっですよ❗️」


私は幼稚園に一年だけ通った後、校区通りの市立小学校に入学しました。


その小学校の一年時の女性担任が、まさに私のような子供を嫌うタイプだったようです。


その担任とぶつかった話は、次の「6歳の時に爆発した記憶」に続きます。